山梨県郡内地方きっての由緒ある古いお寺で、奈良時代(西暦719年)、行基が創建したと伝えられています。西念寺と富士山信仰との関係は深く、江戸時代、富士講の人達は西念寺精進場で身を清めた後、富士に登拝したといわれています。

わがこととしてとらえる

”自分だったら・・・。自分じゃなくてよかった・・・”

日々新型コロナウイルスのニュースしかない。
予定されていた結婚式・入社式・入学式など人生のイベント・会社の一大プロジェクト、学校の行事やスポーツイベントなどなどが中止や延期となってしまった方々。当事者にとってはつらい思いをしている人がいる反面、去年終わてしまった人、まだ来年で猶予がある人。運命はそれぞれである。
私も去年庫裏の落慶法要を終えた身であり、今年であったら・・・と思うことは常である・・・

「のこりゐて むかしをいまとかたるべき こゞろのはてをしるひとぞなき」(病気のために自分らと離れてここに残り、遊行の昔話を懐かしく語るであろう時衆たちの心の奥のつらさや悲しさは、なかなかわかる人はいないであろう)

遊行のさなか病に倒れ、同行できなくなった仲間をおもい歌った歌である。

じぶんだったら・・・自分じゃなくてよかった・・・
きれいごとではなく、それが人の心であると、一遍上人は喝破しているように思います。
そのなかに、せめて私だけは・・・と人の心に思いをはせる
心の優しさも感じます。

あまりにも他人事のように騒ぎはやし立て、かと思えば身にかかる火の粉に一喜一憂する。

自分の心に問い詰めたいと思います。